橙のシロ  〜エロゲーレビュー・ブログ〜

アクセスカウンタ

help リーダーに追加 RSS ef - the first tale. レビュー

<<   作成日時 : 2007/01/25 23:43   >>

トラックバック 0 / コメント 0

いいムービーでした。


画像

メーカーはminori


さて、レビューはやめとこうと思ったのですが、
日に日に内容を忘れていく現状に、このままでは後編が出るころにはすっかり記憶を喪失してしまっているのではないかと焦り、ならばとここでまとめておきたいと思います。



○すんばらしいムービーとCG


まず驚いたのが、CGの美しさです。
果てしなくクオリティ高いです。
背景なんかも、きめ細かく仕上がっていて、感心してしまいます。

「ef」は人間群像というか、複数主人公の形をとっているので、背景は非常に重要だと思うんですよ。
街並みとか空とかね。
空気が出るじゃないですか。その場所の空気、そこで生きる人間の空気、色んな空気。
それがよく表現されていたと思います。

というか、ほとんど一枚絵なんですよねぇ。
普通のヴィジュアルノベルは、立ち絵ベースで進行していき、イベントで一枚絵って感じじゃないですか。
ところがどっこい! 惜しみないんですよ。一枚絵で進んでいくと言っても過言ではないです。
金かかってるんだろうなぁと思いました。
気づけば電卓を握っていました。
僕の純粋さはどこに行ってしまったのでしょうか。
ザリガニに相撲させていた頃の自分に戻りたいです。


あとボイスが流れているとき、キャラの口が動くヤツあるでしょ?
でもなかなか、口パク感というか、ニセモノ感を僕は感じてしまうんですが、
この作品では、全くと言っていいほぼ感じませんでした。
合っているんですよね、口の動きとセリフが。
本当に喋っているみたいです。
もちろん瞬きもします。いやー、クオリティ高いです。

印象的だったのが、ビデオ撮影をするシーンがあるんですよ。
それで主人公がヒロインを撮影するわけです、ハンディカムで。

するとね、カメラの液晶画面に被写体(ここではヒロイン)が映るんですが、
リアルの被写体とものの見事にリンクしているんですよ。
ヒロインが瞬きすれば、画面に映るヒロインも瞬きする。
口を動かせば、もちろん同じく口を動かす。
はっきり言って、そんなに拘るべきところでもないんですよ。どうでもいいところなんです。
カメラの画面自体、小さくしか見えませんし、強調すらされていませんから。
でも、そんな細かいところまで拘って、リアルに、綺麗につくられていました。

こういったところが、つまりは空気であって、
「ef」という作品を作り上げている一番の要素だと思います。


あとはムービーですよね。
いやはや、さすが新海誠……やってくれますよ。
彼独特の透明感が、美しく表現されていました。
いい意味で童貞っぽいっていうか、青臭さいっていうか……なんしか、そういうものが作品全体の空気とマッチしていました。
言いたいことは全部このムービーに出てるんじゃね? と思えたほどです。
そこら辺のキャベツ・アニメなんかとは比べものになりません。
比較すること自体が失礼だと思います。




○「おとぎ話は、ひとつじゃない。」


いいえ、一つです。
minoriは「単純な二部構成ではなく、単体として完成されたものをリリースする」なんて言ってますが、そんなことはありません。


単純な二部構成です。

「the first tale」はどんだけ好意的に考えても、本筋の導入部です。
「ef」が二部作ではなく、この作品だけならば確実に地雷レベルです。


それと、この「おとぎ話は、ひとつじゃない」というキャッチ・コピーは、複数の主人公のことも示唆しているのかもしれませんが、それにしては集団での関係性が薄いです。

毒にも薬にもならないストーリーを群像劇という観点から複数の視点をつくり、
そこから歯の浮くようなテーマを浮き彫りにしていく手法は、悪くはないです。
しかしながら、この作品は群像劇を前提にしておきながらも、群像劇をしていないのです。

一見、狭い範囲で登場人物達がそれぞれに関係性を持っているところから、群像劇ができていると思えますが、よくよく観察してみるとそうではないことが明白になります。

つまり、群像劇でありながら、閉鎖的に物語が進行するのです。

例えば、三角関係が問題となるところがあるのですが、
比重が置かれるのが主人公の広野紘と、ここにおいての正ヒロイン宮村みやことの関係性だけです。
もう一人のヒロイン新藤景は、ほとんど蚊帳の外です。
これでは単なる一人称の物語です。
群像劇ならば、このように閉鎖的な展開でストーリーを進めるのではなく、景はもちろんもっと積極的に多くの人間を巻き込まなくてはなりません。

個人があって集団があるのは一人称劇です。
集団があって個人があるのが、群像劇なのです。ここを間違ってはいけません。

要は群像劇が機能していないのですよ。
だから後半で、寝取られような気分になるのです。
集団が主人公の群像劇ならば、どれかの主人公に共感を持つことがあっても、どれかのキャラ=プレイヤーという図式にはなりにくいはずです。
なのにも関わらず、主人公が替わった後半の展開で、ヒロインを寝取られた気分になるのは、集団が主人公であるという前提が成り立っていないからです。


なぜこのようなことになったか。


問題点は多くあると思いますが、最大の理由として僕が挙げるのは雨宮優子です。




○雨宮優子

「the first tale」における彼女の役回りは、見守る人ではないでしょうか。
彼女自身も言ってますね、自分は直接的には関わらないと。
まあ、一歩引いた場所から、みんなによりよい方向を示す大人な役目を担っています。

確かに、そういった行動をしています。
時には予言めいたアドバイスをして、そのキャラを自ら導くことなく、ある種の可能性または道を提示しています。

けれども足りません。足りないのです。

群像劇において重要なのは、外からの視点です。
中からの視点では集団の全体が見えにくいのです。
したがって雨宮優子の重要性は高まると言えるのです。
言えるのですが、作中ではどうも外からの視点というより「隔離」されている印象さえ受ける状態です。
突然現れて、ちょろっと核心をつく発言をして去っていく。
やりたいことはわかります。十分すぎるほどわかります。
わかる分だけ、雨宮優子の見守るというより傍観に見えてしまう姿勢は残念です。

もっと集団と雨宮優子とを対比して欲しかったですね。
集団の中にいるのにいないような、あるいは集団を文字通り外から眺めているような立ち位置と、
行動が受動的になるのではなく、進行役としてあるいは狂言回しとして動きながらも、直接的に彼らをどうこうすることなく、助言程度に留めるスタンス、
それらを丁寧に描いておけば、本作の評価はまた違ったものとなったのではないでしょうか。


と言ってきましたが、決して悪いキャラではありませんよ。
むしろ本作の登場人物の中で一番好きなキャラです。
中の人にも好感が持てました。久し振りに発掘したような気分です。
ちなみに、山田ゆなさんだそうです。応援します。




○システム

僕だけかもしれませんが、結構不満です。
バックログが見にくかったですし、マウスを右下に持って行けばヒュッって出てくるウィンドウみたいなヤツの意味がわかりませんでしたし、それになりより、味気なかったです。

そっけないんですよ。システム画面とか、セーブ・ロード画面とかがね。
いや、本作よりもっとそっけないのはありますよ。
ですがね、この「ef」という作品は、そっけなかったらダメだと思うんです。

細かい芸で空気を出しているんですから、こういったところにも気を配って欲しいんです。
だって本作は、言ってしまえば雰囲気ゲーなんですから。
凝れば凝るほどよくなるはずなんです。

というのも、初めてプレイしたとき、体験版のときに戻ってしまうんですが、
あまりにもそっけないシステム画面に驚いたんですよ。
もう先入観でシステム画面は凝ったつくりになっているものだと思い込んでいたんですね。
なので意外で仕方がなったですよ。
肩透かしをくらったような気になりましたよ。
どうも詰めが甘いですね。




○次回「the latter tale」は期待できるか

はっきり言って、あまり期待できません。
本作での伏線や謎が次回で解き明かされるので(だ、だよね? 違ってたらある意味でminoriを褒めたいけど)、それなりの楽しみはあるでしょう。

でもきっと、それだけです。

特別真新しい試みや実験的な展開を行ってくることはないでしょう。
どこかで見たこと読んだことのあるストーリーと、退屈なテキストが続くことは明白です。

それではダメですよ、やっぱり。

空気を出そうとして空気化してるじゃないですか。
なんの力もない、なんのインパクトも与えてくれない、単なる小綺麗な作品で終わってしまうじゃないですか。
そんなんじゃカタルシスなんて得られませんよ。いや、ホントにね。





評価 67点



ef - the first tale.
ef - the first tale.

設定テーマ

関連テーマ 一覧

月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文